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MONTHLY CHIT CHAT
APRIL 2010
RYOTA NOZAKI 野崎良太

計り知れない成長を遂げてきた、野崎良太(Jazztronik)のルーツ。
そして、MICROCOSMOSの姉妹店であるFRAMESのために制作されたミックスの全貌とは?
プロデューサー/リミキサーとして幅広いアーティストへの楽曲提供、そしてDJ、ラジオ番組、映画/ドラマへの楽曲提供など、精力的な活動が止まるところを知らない野崎さんですが、もともと音楽を目指そうということになったルーツを教えていただけますか?

<野崎良太:以下N>中3の終わり頃に、たまたまテレビの天気予報で彫刻の森美術館の映像が流れたピアノの曲がジョージ・ウィンストンの『あこがれ』で、こんなピアノを弾いてみたいと思ったのが自主的に音楽をやりたいと感じた最初のきっかけですね。高校に入ってからはクラシックを習うかたわらに坂本龍一さんの音楽を聴き、ヴァイオリニストの葉加瀬太郎さんのバンド「クライズラー&カンパニー」の曲なんかでシンセサイザーに興味を持って。で、学校ではダンスミュージックをガンガン聴いてましたね。それこそもう、C+Cとか(笑)。

C+Cミュージックファクトリーですか(笑)

<N>その時代です(笑)。そういうのから入り、周りにDJやり始めるやつもでてきて、オリジナルを作ろう、という話になってダンスビートを作り始めたんです。まだハウス/テクノ/ヒップホップ等の感覚はなかったですけどね。

<村田大造:以下M>その頃はどんな機材を使っていたの?

<N>01W/FDというKORGのシンセサイザー1台ですね。

<M>あ。なるほど、中のシーケンサーを使ってね。あれはちょうど当時の名機と呼ばれたやつだよね。

<N>そうですね、あれはいまだに使います。

そうしてダンスミュージックを作って行くことになったんですか?

<N>いや、高校1年生で一気に新しい情報が入ってきたときに、自分の中ではもっとちゃんと音楽を作りたいという思いが出てきて作曲を習いに行くんです。いわゆるアカデミックな作曲とピアノの勉強を、高校3年間の毎週日曜日、先生2人がかりで徹底的に教わるということを始めたんです。そこで僕のことをスパルタで教えてくれたのが、現代音楽でも非常に有名な方で、「あなたがやりたいような音楽だったらウチに来なさいよ」と勧められたのがきっかけで日芸大にいきました。この頃はクラブイベントにもよく遊びに行ってましたね。

<M>どの辺に遊びに行ってたの?

<N>新宿にACID TOKYOというクラブがあって…

<M>ん…。あ、あったね!

<N>(笑)ありましたよね。アルタの前通り過ぎて東口の怪しい人たちの間を抜けて遊びに行ってました。で、あるとき西麻布のYELLOWの近くにあったハコで友人がハウスのパーティーを始めて、それで六本木や西麻布に出るようになって、近くのYELLOWに行ってみて衝撃を受けて僕のクラブ観というのが変わりましたね。

<M>YELLOWは何の日に行ってたの?

<N>それこそ、今有名になっているラッパーの方々が大勢でライブやっている時でしたね。それに行って衝撃を受けました。こんなものがあるのか、と。

<M>それ、RICO(現・DEF JAM社長)とかがラッパー集めてイベントやってた頃じゃないかな。YELLOWがまだできて間もない頃の話だよね。

DJをやることになったのもその頃ですか?

<N>DJの方は、実は遊んでいる中の先輩が池袋でクラブをオープンする時に、何かイベントやれよ、と言われてテクノのイベントをやったのが始まりなんですよ。

最初はテクノですか!意外ですね。

<N>デリック・メイの大昔に出したミックスCDがきっかけなんです。それに大きく影響されたのと、ケン・イシイさんも凄く好きでよく聴いてましたから。だから理由はすごく安易なんですよ、これからはテクノだろ、みたいに(笑)。それこそDJ始めた頃は僕、Masters At Workも知らなかったんですから(笑)。そこからDJをやって、テクノのバンドやってライブなんかもやりました。

flower recordsとの関係はどの辺から始まったんですか?

<N>よくクラブに遊びに行く仲だった後輩に「野崎さんの好きな音楽全部合わせたら絶対面白いのできますよ」と言われて。じゃあ作ってみようか、という話になって、デモを2曲作ってたまたまflower recordsに送ったのが一番最初です。そうしたら何か一緒に面白いことできそうだね、という話になり、僕が曲作って友達に面白いやつがいれば、その都度、面子に入れて音楽を作っていたんです。でも音楽活動を本腰入れてやろうなんてことでは全然なかったんですよ。実際、大学卒業後も1年位は大学の近くにあった音楽学校で教えていましたから。

では、本当にアーティストとしてブレイクするきっかけになったのは何だったんでしょうか? 例えばYELLOW PRODUCTION (Bob SinclarとDJ Yellowが1993年に立ち上げたレーベル)のコンピへの参加があったと思いますが。

<N>
ジャイルス・ピーターソンが僕の曲を気に入ってくれて海外でかけてくれて、彼が広めてくれたのが大きいです。それからすぐにYellow Productionへの参加、あとは並行してトイズファクトリーがやっていた海外アーティストの楽曲を日本版でリミックスをやろう、という企画があり、そこでModajiというアーティストのリミックスを、僕とEverton Nelson (坂本龍一のトリオ編成アルバムに参加していたヴァイオリニスト)で組んで作ったのがヒットしていったんです。

そこから今に至るまで、ドラマ/映画音楽の製作、ラジオ番組等、およそDJ/サウンドプロデューサーとして考えられる活動は一通りやってこられたように思うのですが、今これからはどのような展望をお考えですか?

<N>
今はいわゆるダンスミュージックと呼ばれるものしかかけないDJが多くいると思いますが、高宮永徹さんや須永辰緒さんの世代のDJはあくまで音楽をかけている感覚なんですよね。だから年は離れていても、僕がやろうとしていることをちゃんと音楽と捉えて理解してくれた。僕はダンスミュージックとして曲を作るのではなくて、音楽として残るものを作っていきたいですね。ただ、音楽を作ってその中からダンスミュージックとして何かを見出しくれるのはいいし、例えば10曲のうち1曲はトラック物を作ってもいいかな、とは思いますけど。

今回のミックスCD Ryota Nozaki × FRAMESについてうかがいますが、café FRAMESからどんなインスピレーションを受けて作られましたか?

<N>あの、大造さんがいるからじゃないですけど、FRAMESは本当によく行くんですよ。 だって中目黒は本当にカフェがないですから(笑)。あとAIRに行けば必ずFRAMESに寄りますし。そしてFRAMESは店舗によって、時間帯によって、流れている音楽が全く違うんですよね。だから僕にとっての、FRAMESをイメージしたミックスって果てしなく難しいんですよ!(笑)
オールジャンルなんですよね。で、それを僕の色で統一して、さらにカフェのミックスでしかできないこと - 例えばテンポ感を無視したり、曲のジャンルで統一したり。僕としてはものすごく考えて作ったものなので、完成してみると飽きないんですよ。聴いていて。お客さんが一人でお店に行って、何かちょっとでも引っかかる、でも耳障りにならない程度に、というのを意識しました。ある意味、ラジオに近い感覚もありましたね。

<M> そうだね。メリハリも無きゃいけないところなんかはね。

最後に、今後共演したいアーティストはいらっしゃいますか?

<N>
共感できるアーティストとはだれでも共演したいと思いますね。僕はジョージ・デュークがとても好きで、一度インタビューさせていただいた機会に、僕があまりにマニアックな質問をするのを喜んでくれて、「お前あとでアンコールの時に呼ぶから出てきなよ」て言ってくれたんです。サービストークだろうとおもっていたら最後アンコールで“Shine On”というディスコ・クラシックスの名曲にお客さんが総立ちになっているところへ呼び出されていきなり3分間のソロを弾かされて(笑)。だからいつかデュークにも作品に参加してもらいたいですけど…。あの人、なかなかとんでもない人だから、実現するのかな?(笑)


野崎良太(Jazztronik)
90年代後半、野崎良太率いる、特定のメンバーを持たないスタイルのソロプロジェクト “Jazztronik”として発表した音源が海外で注目されたのを機に、瞬く間にクラブシーンの頂点へ登り詰める。以降、プロデューサー/リミキサーとして数多くのアーティストへの楽曲提供/編曲を行い、いまや日本が世界へと誇るサウンドプロデューサーに成長した。

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