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MONTHLY CHIT CHAT
JANUARY 2010
DAVID MORALES×HISA ISHIOKA

5時間のロングセットを、自らが制作やリミックスを手がけた音源だけですべて構成する。
そんな前代未聞のプレイで昨秋オーディエンスを驚嘆&熱狂させたDAVID MORALES。
ハウスミュージックの礎を築いたシーンのドンが、いま感じていることとは?
デイビッド モラレス「自分の音源だけのセットって、今までずっとやってみたかったんだ!」
ヒサ イシオカ「500曲くらいになるもんね。すごいね。ギネスに載るね(笑)」
まずは土曜日のAIRでのスーパーロングセット、おつかれさまでした。あなたらしいパワーに満ち溢れた、素晴らしい夜でしたね!(この日は1000人オーバーの動員を記録したAIRハロウィンパーティの直後)

<DAVID MORALES:以下D>イージーだったよ。難しいことは何もなかった。オーディエンスもサウンドシステムも最高だったからね。まだまだプレイし続けることだって、できたくらいだ。

ミクロコスモスを初めて見た感想はどうですか?

<D>とても素敵じゃないか。オーディエンスとの距離が親密な感じで。やりたいことをしっかり考えて創られた空間だっていうことがわかるよ。

今日は、最初から最後までご自分が制作に携わった音源のみをプレイするという驚くべきセットとなるわけですが、これは初めてのチャレンジなんですか?

<D>そう!初めてなんだ。1986年から自分が手がけてきた音ばかりだよ。ワクワクするね。

<HISA ISHIOKA:以下H>10年前で400曲くらい作ってたから、もう500曲くらいになるんじゃないかな。すごいね。ギネスに載るね(笑)。


<D>
(笑)。いやぁ、ピーター・ローファーならギネスに載るかもね。けど、自分の音源だけのセットって、今までずっとやってみたかったんだ。いつかやれるとしたら、自分でクラブを作った時だと思ってた。でも、それをやるのに世界で一番いい場所がとうとう見つかった感じだよ。できることなら、東京でやりたいと思ってたね。世界で一番、東京でプレイするのが好きなんだ。東京は俺にとってナンバーワンだから。

それはオーディエンスに対するリスペクトですか?それとも街に対して?

<D>
オーディエンスだよ。すごくオープンだし、エネルギーもあるしね。日本のオーディエンスは、音楽のカルチャーを他の国の人たちより深く理解してる。アメリカより日本だね。なかでも東京という都市は、アメリカでいえばニューヨークがそうであるように、ひと際エネルギッシュで注目されてるだろ?今は世界中でプレイしてるけど、東京には1988年から来つづけてるよ。もう21年も経つんだな。

●初めてプレイした日本のクラブは、どこだったんでしょう?

<D>大阪のGENESIS。東京ではYELLOWかな?

<H>そうだね。YELLOWの歴史は一番長いからね。

<D> 15年はYELLOWでプレイしたよ。東京でプレイしたクラブは4つかな?ほとんどがYELLOWだったけど。後はAIRとWOMB。AGEHAでも一回やったな。

こんな特別なセットが実現できるのも長く偉大なキャリアがあればこそ、なんですが。そもそもデイビッドがDJを始めたのは、どんなきっかけからだったんですか?

<D>生まれ育った環境にあったカルチャーだな。俺が生まれたブルックリンには、ヒップホップのカルチャーが存在したから。ヒップホップでは、ライフスタイルをラップする。そんな音楽が、幼い頃から自然と身体に馴染んできたんだよ。DJというスタイルが確立されたり、ノンストップのダンスミュージックが世間にアートだと認識されるようになる前から音楽は大好きだったんだ。そして何よりエキサイティングに感じたのは、最新テクノロジーによって音楽が進化していくことさ。最初はただ、レコードを1枚ずつ選んでかけてたよ。次のステップでは、その最新テクノロジーがプレイに技を加えたり、ミックスすることを可能にしてくれた。といっても、今まで色んなパーティをやってきたけど、DJになることを目指してここまできたわけじゃないんだよ。音楽をプレイすることが、自然に自分のライフスタイルの一部になっていったんだ。キャリアの最初の転機は、1983年のPARADISE GARAGEだろうな。21歳の時に、ニューヨークシティで初めてプレイしたクラブだったよ。

<H>LOVELITEは?

<D>LOVELITEは1987年だよ。PARADISE GARAGEがクローズしてから、その後1987年にオープンしたんだ。

<H>THE WORLDとかCHOICEでもDJしてくれてたね。

<D>そうだね。全部同じくらいの時期だったかな。

<H>THE WORLDでは木曜日にやってたよね。すごいキレのあるプレイだった。長いミックスなんだけど、後のほうになるとジャンプするような感覚の。

デイビッドがダンスミュージックシーンに残した大きな功績として、「キング・オブ・リミキサー」の異名が示すように、クラブDJがリミキサー/プロデューサーとして活動する基盤を築いたことが挙げられるわけですが、先駆者としての苦労はありましたか?

<D> 何も(笑)。ただ自分のやっていることが好きなだけだよ。やることすべてに情熱を持ってたから、俺にとっては仕事じゃなくてドキドキする冒険だったんだ。

<H>お金はその後に付いてきたよね。

<D> まあ、金は沢山もらったけどね(笑)。でも金じゃなかったから。今でもそうじゃないし。もちろんもらうものは、しっかりもらうけどね(笑)。色んなパーティをやって、そりゃ金はもらうけど、それが目的じゃない。日本に来ることも、けっして金のためじゃないしね。日本のマーケットは小さいし、クラブの規模も小さいからギャラも大したことないわけでさ(笑)。

相変わらず精力的に色々な国でプレイする中で、強烈なエネルギーを感じた都市はどこですか?

<D> カナダのモントリオール。モントリオールの人たちはみんな音楽が好きだし、活気のある街だと思うよ。クラブシーンにもいいヴァイブスが溢れてるしね。それとミュンヘン。ニューヨークもそうだと言いたいところだけど・・・本当にパーティによるんだよな。アンダーグラウンドシーンも含めてなら、そうと言えるね。あとは、クロアチアやセルビア、ベオグラードといったバルカン半島の辺りかな。


イビサはそれほど?

<D> (うんざりしたように)ステューピッド。ドラッグが多すぎるよ。音楽を分かってない人がほとんどだと思うね。あそこは完全に商業目的だから。カルチャーがないよ。愛もないし。ただドラッグとVIPテーブルがあればいいんだから。俺が旧ユーゴスラビア圏の人びとの前でプレイするのが好きな理由は、そこなんだ。彼らは戦争と闘ってきた人たちだから、ドラッグなんかに手を出している余裕はない。本当に純粋に音楽と向き合ってくれる。日本もそうだよね。他の国みたいにドラッグが蔓延ってないからこそ、人びとの音楽への理解が深くなると思うんだ。イビサのように、まずドラッグありきで音楽が後から付いてくる状況は健全じゃない。何よりも音楽が先になきゃだめだ。

若いアーティストにメッセージはありますか?

<D> やりたいことは、好きだからこそやってほしい。何かになりたいとか、どこかにたどり着きたいからやるんじゃなくてね。どこかにたどり着きたいと思っていて、もし目標にたどり着くことができなかったら、何も残らないだろ。本当のアーティストは、ただ好きだから自分のアートを創る。本物の情熱がなければ、やっていることが楽しくもない。金を儲けたいとか、スターになりたいと思ってやってちゃ、だめなんだよ。本物の情熱に動かされながらやっている人は、結果的に名前が残らなくても別に気にもしないよ。自分の音楽が好きってことが、すべてなんだからね。

10年後の自分はどうなっていたいと思いますか?

<D>うーん・・・平和に暮らしてたい。かな。今と別のことしている自分を想像するのは難しいよ。今やってることが最高に楽しいからね。いい時間を過ごすには、そうだなあ…ビーチで冷えたビールを飲む。犬とね。できれば奥さんもね。(笑)

<H>5年後のアンダーグラウンド・ハウスミュージックはどうなってると思う?

<D> シーンを作るプロデューサーによるな。音楽を代表する人たち。ルイや俺みたいに、世間が要求するものに自分の音楽を作り変えたりしない人間が、ちゃんと出てくれば。たとえば「トランスで金儲けできるからトランスを作ろう」ってならないような。ヴォーカルをフィーチュアした曲を作っているのは、今やルイと俺くらいしかいなくなっただろ。他は皆、チカチカしたインストゥルメンタルばかりで。そんな状況が続くようなら、俺たちが活動をやめてしまった時にアンダーグラウンド・ハウスミュージックは終わってしまうかもしれないね。世間がそれ以外を求めないと思い込んでるから、別に努力もしない。自分を制限してしまうんだ。

最後に、あなたにとって2009年のベストアンセムは何でしたか?

<D>ホイットニー・ヒューストン(笑)「MILLION DOLLAR BILL-FRANKIE KNUCKLES REMIX」。AIRで4回くらいかけたよ。…俺のレコードって言いたいとこだけどね(笑)。

DAVID MORALES
90年代NYハウスシーン隆盛の中心的存在だったDEF MIX PRODUCTIONSの創始者にして「キング・オブ・リミキサー」の異名をとる世界最高峰のDJ/プロデューサー。98年、グラミーのベスト・リミキサー賞を獲得。

ヒサ イシオカ
単身ニューヨークへ渡り、KING STREET SOUNDSを設立。LOUIE VEGA、DAVID MORALES、FRANCOIS.K等ビッグアーティストのリリースを行い、世界No.1ハウスレーベルの評価を築く。

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